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東京地方裁判所 平成元年(ヨ)2080号 決定 1989年9月05日

主文

一  本件申請を却下する。

二  申請費用は申請人らの負担とする。

理由

第一  当事者の申立て及び主張の要旨

一  申請人らは、「被申請人が、平成元年八月二一日の取締役会議に基づき、現に手続中の記名式額面普通株式二五〇万株の発行を仮に差止める。」旨の裁判を求めた。

二  申請の理由の要旨は次のとおりである。

1  被申請人は、バルブの製造及び販売等を目的とする、資本の額一二億五〇〇〇万円、発行済株式総数一三八〇万株の株式会社である。

2  申請人らは、いずれも被申請人の株主であり、合計で一六三万二〇〇〇株を保有している。

3  被申請人は、平成元年八月二一日開催の取締役会において、次の内容の新株発行をする旨の決議をした(以下「本件新株発行」という。)。

発行新株式数 記名式額面普通株式二五〇万株

額面金額 一株につき五〇円

発行金額 一株につき八五一円

申込期日 平成元年九月五日

払込期日 平成元年九月六日

割当方法 第三者割当(主要取引先に割り当てる)

4  しかし、本件新株発行は次のとおり法令に違反し、かつ著しく不公正な方法によるものであり、差止めを免れない。

(一) 法令違反(特に有利な発行価額による発行)

被申請人の株価は、平成元年七月末ころから一〇〇〇円を超え、同年八月三日以来終値が一三〇〇円を下回ったことはなく、本件新株発行を決議した取締役会の直前日の終値は一四八〇円であるから、被申請人が発行価額を決定するには当然この市場価格を基準とすべきである。しかるに、本件新株の発行価額八五一円は右終値に比較して四二・五パーセントも低く、市場価格との乖離が大き過ぎ、特に有利な発行価額であることは明らかである。それにもかかわらず、本件新株発行については、商法二八〇条の二第二項に定める株主総会の特別決議を経ていないから、本件新株発行は法令に違反する。

(二) 著しく不公正な方法による発行

本件新株発行は、特に資金調達の必要性もないのに、平成元年六月五日現在で合計六四〇万株を保有するに至った申請人ら及びこれを支持するグループの持株比率を低下させる目的でなされるものであり、商法二八〇条の一〇にいう「著しく不公正な方法」による発行であって、これにより、申請人らは、被申請人の発行済株式総数に対する持株比率を大幅に低下させられるという不利益を受ける。

5  申請人らは、被申請人に対し本件新株発行差止めの訴えを提起する準備中であるが、払込期日までに時間がなく、右期日が到来して引受人が払込を済ませ本件新株発行の効力が生じた後になっては差止請求自体が無意味となるうえ、これにより、申請人らは前記のとおりの損害を被るのであるから、本件仮処分による保全の必要性がある。

三  被申請人は主文同旨の裁判を求め、申請人らの主張に対しては次のとおり反論した。

1  発行価額について

本件新株の発行価額八五一円は、平成元年二月二〇日から同年八月一八日までの終値平均に〇・九を乗じて算出した価額である。同年七月一四日の臨時株主総会終了後から本件新株の発行を決定した同年八月二一日の取締役会の直前に至るまでの間に、被申請人の株価は異常に高騰したのであるから、右取締役会直前の価格ないし短期間の価格平均を発行価額の基礎とすることは妥当でなく、右の算出方法をとることには合理性がある。また、これは、新株発行価額を「第三者割当増資を決議した取締役会の直前日の終値又は直前日を最終日とし、六か月以内の任意の日を初日とする期間の終値平均に〇・九を乗じた価格以上」とする証券業界の自主ルール「時価発行増資に関する考え方」(平成元年八月八日改定)にも合致するものであり、以上によると、本件発行価額が「特に有利な発行価額」でないことは明らかである。

2  発行方法について

本件新株発行は、原材料の仕入価格の急騰、輸出実績の落ち込みなど、被申請人を取り巻く厳しい環境の中で被申請人が生き残り業容の発展拡大を図るための資金を調達する目的でなされるものであって、申請人らの持株比率を低下させる目的でなされるものではない。新株の発行による調達資金約二一億円の使途は、<1>台湾のバルブ・タンクメーカー「新隆工業股分有限公司」(以下「新隆」という。)の買収及び設備改善費用として一三億五〇〇〇万円、<2>鉄鋼弁部門の生産体制の自動化・省力化を図るためのトランスファーマシンシステム導入資金として七億円、<3>甲府工場における生産管理及び販売管理の効率化を徹底させるための新コンピュータシステム導入資金として五〇〇〇万円である。被申請人にはこのように差し迫った資金調達の必要性があるが、これを銀行借入によって調達することは、被申請人が、昭和六三年一二月に金融機関に対し一億七〇〇〇万円の債務返済を行うなど、従来の借入金依存体質からの脱却を図っている時期にあることからできないし、また、被申請人は七年間無配を続けており、証券業界の「増資取扱内規」が定める一株当たり配当金五円以上という要件を満たさず、公募増資等による資金調達もできないため、新株を第三者に割り当てる方法により調達せざるを得なかったものである。したがって、本件新株の発行方法は「著しく不公正」ではない。

第二  当裁判所の判断

一  本件記録及び審尋の結果によれば、次の事実を一応認めることができる(一部当事者間に争いない事実を含む。)。

1  被申請人は、バルブの製造及び販売等を目的とする、資本の額一二億五〇〇〇万円、発行済株式総数一三八〇万株の株式会社であり、申請人らは、被申請人の株式を合計で一六三万二〇〇〇株を保有する株主である。

2  被申請人は、平成元年一月、海外メーカーの買収を海外戦略の基本方針として採用することとし、在外の販売店、代理店、商社等に対し買収対象企業の情報収集を依頼した。同月一九日、台湾の代理店「光韋」から新隆の推薦があり、同社の設備、生産体制、投資環境などを調査した後、同年五月一七日の取締役会において新隆の買収計画を進めることを決定し、光韋に対し被申請人の増資が成功することなどの条件の下に新隆との間で買収交渉を行う権限を付与した。新隆の株式買収及び設備改善資金として必要と見込まれる金額は合計一三億五〇〇〇万円である。また、これと並行して鉄鋼弁の生産設備の自動化及びコンピューターシステムの改善などの投資計画が策定され、それらの費用として合計七億五〇〇〇万円が必要と見込まれている。

3  被申請人の株価は、平成元年七月二一日まではほぼ七〇〇円台の後半から九〇〇円台を推移していたが、同月末ころから一〇〇〇円を超え、同月一四日開催の臨時株主総会の模様がテレビ放映された同年八月四日から本件新株発行が決議された同月二一日までは思惑買いによりさらに買い進まれ、最低でも一三〇〇円を下らず、最高では一七〇〇円台となった。

4  被申請人は、平成元年八月二一日開催の取締役会において、次のとおり、本件新株発行をする旨の決議をした。

発行新株式数 記名式額面普通株式二五〇万株

額面金額 一株につき五〇円

発行金額 一株につき八五一円

申込期日 平成元年九月五日

払込期日 平成元年九月六日

割当方法 第三者割当(主要取引先に割り当てる)

5  右発行価額八五一円は、証券業界の自主ルール「時価発行増資に関する考え方」に従い、平成元年二月二〇日から同年八月一八日までの終値平均に〇・九を乗じて算出された値である。また、被申請人は七年間無配を続けているため、証券業界の定めた「増資取扱内規」の一株当たり配当金五円という要件を満たさず、公募増資による資金調達は事実上不可能であり、本件新株二五〇万株は、被申請人の関連会社一社(割当数五一万株)のほか金融機関及び取引先に割り当てられた。

6  申請人ら及びこれに同調する株主らは、被申請人の株式の約四七パーセントを保有しているが、本件新株発行によりその持株比率は約四〇パーセントに低下する見込みである。

二  そこで、まず、本件新株の発行価額が商法二八〇条の二第二項に定める「特に有利な発行価額」であるか否かにつき検討する。

新株の公正な発行価額とは、取締役会が新株発行を決議した当時において、発行会社の株式を取得させるにはどれだけの金額を払い込ませるのが新旧両株主の間において公平であるかという観点から算定されるべきものである。そして、本件のように、発行会社が上場会社の場合には、会社資産の内容、収益力及び将来の事業の見通しなどを考慮した企業の客観的価値が市場価格に反映されてこれが形成されるものであるから、一般投資家が売買をできる株式市場において形成された株価すなわち市場価格が新株の公正な発行価額を算定するに当たっての基準となるが、新株発行決議以前に投機等により株価が急騰し、かつ急騰後決議時までに短期間しか経過していないような場合には、右株価は当該株式の客観的価値を反映したものとはいいがたいから、株価急騰前の期間を含む相当期間の平均株価をもって発行価額とすることも許されるというべきである。

これを本件についてみるに、被申請人の株価が、前記一3で認定のとおり推移しているという事情のもとでは、被申請人が証券業界の自主ルールに従い本件新株発行価額を平成元年二月二〇日から同年八月一八日までの終値平均に〇・九を乗じて算出した価格としたことに合理性がないとはいえない。

そうすると、本件新株の発行価額は特に有利な価額とはいえず、この点に関する申請人らの主張は理由がない。

三  次に、本件新株発行が商法二八〇条の一〇にいう「著しく不公正な方法」によるものであるか否かにつき検討するに、新隆の買収、鉄鋼弁生産設備の自動化、コンピューターシステムの改善に要する費用が合計で約二一億円と見込まれていることは前記一2に認定のとおりであり、これを覆すに足りるほどの疎明はないから、被申請人には右目的のために資金を調達する必要があるということができる。また、右資金の調達方法についてみても、金利の支払いを必要としない新株発行の方法によることには合理性がある。

これらの認定事実等に鑑みると、本件新株発行が、被申請人が昭和六三年一二月一五日、二八〇万株を増資してから八か月余りしか経過していないのに発行されたこと及び被申請人が申請人らから自社の株式を買い占められ平成元年七月一四日開催の被申請人の臨時株主総会で被申請人の現代表者らが僅差で切り抜けたこと(これらの事実は一件記録上明らかである。)を考慮しても、本件新株発行の主要な目的が申請人らの持株比率を低下させ現経営者の支配権を維持することにあるとまでは断定できず、むしろ、本件新株発行の主要目的は前記認定のとおり資金調達のためのものといわざるを得ないし、また、第三者割当の方法についてもそれが著しく合理性を欠くとすることはできないというべきである。そうすると、本件新株発行が「著しく不公正な方法」によるものとまでいうことはできないから、この点に関する申請人らの主張も理由がない。

四  よって、本件仮処分申請は被保全権利の疎明がなく、保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、 九三条一項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山口和男 裁判官 佐賀義史 裁判官 坂倉充信)

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